人は一人では生きて行けません。
天元教では先ずは最小単位である家族から、互いに協力し、助け合って行く事を説いております。
そこで家族の中心となる夫婦に関する川柳を創作してみました。
コロナ禍で
夫婦のあり様(よう)
考える!
私は大手自動車部品メーカに40年以上も設計を担当する技術者として勤めてまいりました。
振り返ってみますと、どちらかと言えば仕事中心の生活で、家庭内の事にはあまり顧みずな状態であったと幾分反省しております。
言い訳を許してもらえるなら、決して意図的ではなかったのですが、昇格とともに責任は増し、たぶん”やりがい”に”面白み”も加わって行き、朝早くから夜遅くまで従事するのが当たり前の生活になって行ったのだと思われます。
そうした中、長年勤めた前記部品メーカを定年後、台湾のリビルト会社より「技術顧問」として働かないかとオファーを頂き、月に2週間程この台湾のリビルト会社で働く事となりました。
月の半分は自宅で過ごすという様に生活パターンが変わったのです。
2週間別々の生活で、離れて暮らすのも関係が悪化せず良いのではないか?と高を括っていたところが、コロナ禍です。
台湾に行く事が出来なくなりました。
一人息子も東京転勤を機に転職したりしつつ、仕事に目覚めた様で戻って来る気配はありません。
今まで以上に夫婦二人で居る時間が長くなる事になり、必然的に夫婦の有り様を考える機会を頂きました。
お互いの
プライベートは
邪魔せずに!
いろんな夫婦の形があると思います。
欧米の方々の様に人前でも躊躇なくべったりした夫婦、いかにもよそよそしい夫婦、亭主関白な、逆に恐妻家の夫婦、それぞれいくつかのパターンがあるでしょう。
支障なく無難に生活出来ていれば、他人がとやかく言う必要はありません。
そこに思いやりのある配慮があれば良いですね。
お互いのプライベートな部分、例えば習い事、友人や同僚との飲み会、そしてそれぞれの趣味の部分、ここは邪魔せず、犯さずが良いのではと考えています。
これからも
一緒に出来る
事はして!
買い物にウォーキング、たまにの外食とか旅行、一緒に出来る事は積極的に行えればと思います。
継続してやれるなら、なお良いですね。
私の意識が少し変わる事で家内も穏やかに過ごしております。
関係は
僅かながらの
距離保ち!
鉄道の2本のレールの様に一定間隔でずっと長く続く、そして向かう先は同じ、方向性は同じ関係が良いのではないでしょうか?
レールは曲がりカーブでは内輪差が生じない様に、一見レールどおしが寄り添うが如く見える様に、人生の曲がり角では寄り添い合い、つかず離れず長く同じ向きに続く、そんな距離感が理想ではないかと思っています。
まだまだ、人生の道のりは長いのであります故、レールがスタンダードゲージからナローゲージに変わるが如く、少しずつ互いの距離が縮まれば良いかと思っております。
詠む人 なかおじ 60代男性