「ありがとう」と「ごめんなさい」

  • 2025年1月11日
  • 2025年1月11日
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50代半ばを過ぎ、改めて「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるだけで、人生が楽になるのだなと感じています。

気に入らない事や足らない事を挙げ連ねて不平不満を言いたくなることはある。

また、ときには、自分は孤独なんだと感じてしまうこともある。

でも、そんなとき、自分の周囲にあるものを見つめ直してみる。

自分は結局、誰かがつくった建築物の中で暮らし、誰かが生産し、調理した食物を食べ、誰かがつくった服を着ている。

そして、それらの原材料は他の生物や自然の鉱物だったりもする。

自分は今、衣食住が確保できていて、生きていけている。

まずは、そのことをありがたいと感じてみる。

次に、人の優しさに触れたときに、その人に「ありがとう」と口に出して言ってみる。

すると、たったそれだけのことなのに、何だか気持ちが軽やかになっている自分に気づく。

人間は一人では生きていけない。

自分が生きているということは、一人じゃないからであり、周りの人たちや見ず知らずの誰かたち、他の生物たちがいてくれて、水もあって、空気もあって、太陽だってある。

そして、多くの神々様のおかげで自分はこうして生きていられている。

だから、そんな自分も、自分が生きているからこそ、誰かが生きていけるような存在でありたい。

皆が、日々、色んなことをありがたいなと感じながら暮らし、お互いに「ありがとう」と言い合える世の中は、きっと最高に楽なんだと思う。


もう一つ、何かの間違えを起こしたり、誰かに迷惑を掛けたり、嫌な思いをさせたのなら、ちゃんと「ごめんなさい」が言えることも大切だと思う。

信念を持つことと、頑固・強情を穿き違えずに、心を緩めて素直に謝ってみる。

それができれば、少なくとも自分の良心に背くことはなく、自分のことをとことんまで嫌いにならなくて済む。

神々様に過去に人に怨まれた念を取り去っていただく「念霊退散供養ねんりょうたいさんくよう」も、逆に、人を怨んだ念を取り去っていただく「念霊懺悔祈祷式ねんりょうざんげきとうしき」も、供養の前に自分が素直な気持ちで詫びることが絶対条件となっている。

それらの念を放っておけば、いずれ、自らの身に災いとなって舞い戻ってくる。

「ごめんなさい」がちゃんと言えれば、それすらも回避することができるのだ。


皆さんも試しに、今、誰かのことを思い浮かべて「ありがとう」と「ごめんなさい」と口に出してみてください。

きっと、少しだけ心が楽になるはずですから。

KOU 50代 男性

供養法(祈祷式)に関して:
「天元教の”法”ってなに?」